タイツデイズ Archives

2004年06月08日

[タイツデイズ]
ひっぱれ〜、ひっぱれ〜、タイツをひっぱれ〜♪


 
■1960年代以前に生まれた人にしかわからないお馬鹿なタイトルですまん。
  
写真は6月1日付で朝鮮日報のデジタル版に掲載されたものを加工したもの。
オリジナルはこちら。
 
ソウルのロッテデパートでひらかれた「弾性繊維『ライクラ』の弾性力テストイベント」ということだが、
この画像はタイツフェチを狂わそうとしているとしか思えなかった。
 
一応ですね、引っ張ってるのは子供たちなんですが、もはや視線が怪しい。
お姉さんの笑顔が不自然で、はずかしい。
これ、私が行ったら私に引っ張らせてくれたんでしょうかね?
 
11歳の頃のことを思い出した。
バレエタイツマンガにも出てくる、「としくん」のおねえさんがある日肌色のパンストをはいていた。
 
何を思ったかとしくんがお姉さんのひざの辺りをつまんで、パンストを引っ張った。
お姉さんはしばらくされるがままにしていた。
 
「だめ。でんせんしちゃうでしょ」
 
あの日からすでに30年以上の歳月が経った。
今のタイツは簡単にはでんせんしない。
 

2004年04月29日

[タイツデイズ]
深夜に放送される「鉄人28号」の鳥肌度について。


 
■天国の横山光輝先生へ。
 
   ♪ 僕は正太郎 負けるものか ♪
 
前にも書いたが、40過ぎていいなあ、と思うのは、
同世代の人間が社会の中枢を占めるようになっているので、
子供のころに好きだったものが、今の時代にすごく幸福な形で
手に入れられるようになっていることだ。
 
たとえばこの「鉄人28号」。
子供が絶対見ない深夜に放送されているアニメは、
明らかに昭和30年代に生まれた私のような元・子供のために作られた作品だ。
 
何がすごいって、「ジャイアントロボ」のアニメ化で見られた今っぽさを出したリメイクではなく、
あくまで昔の鉄人に忠実に、それをさらにグレードアップした作りになっているところ。
 
昔のフィルムをそのまま見ると、「ああ、こんなにちゃちなものに興奮してたのか」というように、
得てして成長したことによって得た「余計な情報」が、子供のときに持っていた没入力の
邪魔をして、単純に興奮できなくなっている自分を発見して悲しくなることがよくある。
 
ところがこの「鉄人28号」は、絵自体は昭和30年代の横山光輝タッチに
大人が納得するだけの説得力のある設定を持たせ、
戦争兵器として作られた鉄人に対する主人公・金田正太郎の嫌悪感、
大塚署長のデスクの上のインク壷や建造中の東京タワーなど
凄まじいまでのレトロな小道具へのこだわりが、全体として
成長しきってしまった感性をもすっかりだませるほどほど、精巧に作られているところだろう。
 
旧日本軍の兵器として作られた鉄人の悲哀。
終戦直後に生まれた天才的な少年探偵・金田正太郎のプライド。
 
まちがいなく昨今のアニメの中では最高傑作なのだが、
そう思えるためには、幼児時代に鉄人のオリジナルを見ていないと、
だめだというところが最高の贅沢。
特にオリジナルのサウンドに忠実にレトロリメイクされた主題歌と挿入歌は鳥肌が立つ。
 
  ああ、歳をとってよかった。
 
で、この鉄人28号のオリジナルが放送されていたときにはまだタイツフェチではなかった私だが、
冬休みに何回目かの再放送を見たときには、タイツに半ズボンで正太郎ごっこをやっていた。
 
少年探偵・金田正太郎はよく悪漢にさらわれそうになったりするのだが、
正太郎役になって、悪漢役の友人に捕らえられ、タイツ姿で気絶させられるところを想像して、
半ズボンの前を硬くしていた私は、
ショタコン」のハシリであったとひそかに自負しているのです。
 
(次回鉄人28号「鉄人対ブラックオックス」は5/5の02:05から放送されます)
 

2004年03月28日

[タイツデイズ]
初めてのSMクラブで。


 
■大学生のとき、なけなしのバイト代を握って、池袋に行った。
 
目指すは「T」という老舗のSMクラブ。
どこでその店の情報を見つけたのか覚えていない。
モノクロの、女の子の写真もない安っぽい広告に、
かえってSMの禁断の匂いを嗅ぎ取って、公衆電話から予約の電話を入れたのだった。
 
「はい、Tでございます」
「あの・・・ 広告を見たんですけど」
「あ、そうなのね?」
 
しばし料金などシステムの説明が続く。
 
「こんなカンジだけど、あなたは何かしたいプレイはある?」
「・・・」
「いいのよ?」
「あの、女の子のタイツをはいて、タイツでマスクをされて、縛られたいんですけど」
「・・・ふーん、あんまり電話でそういうことを言わないほうがいいわよ?」
 
そう言われて軽いショックを受けた。
私がお願いしようと思っていることは、SMの世界の中ですら恥ずかしいことなのか、と。
タイツフェチという言葉すらなかった時代の話。
 
30分後、私は女性ものの黒いパンティに黒いスリップ、そして黒いタイツ姿で
「T」というその店のプレイルームの床に赤い縄で縛って転がされていた。
 
「まあ、なんて恥ずかしい姿なんでしょう」

中年のマダム女王様が私と同じタイツを身につけた姿で辱めの言葉を吐く。
私はファンデーションを塗られ、メイクされ、ウィッグまでつけられた女装姿で
タイツの猿ぐつわをかまされながら、彼女の言葉に身をよじって反応する。
 
「タイツの中でこんなにクリトリスを大きくして・・・ お仕置きね」
 
マダムの女王様はマッサージ用の巨大なバイブレーターを取り出し、
縛られて身動きができない私の股間にそのバイブレーターを押し付けた。
 
「うーっ!」
 
バイブより、マダムの発する「タイツ」という言葉に、ひとたまりもなく射精してしまった私。
あら、もういってしまったの、じゃあはずしましょうね、まっててくださいね、と
急にやさしい口調になったマダムに対して首を横に振り、
もう少しこのままにしてください、と眼でお願いをした。
 
冷たい床が気持ちよかった。
残りの精液が脈動して排出されるたびに、体がびくりびくりと痙攣する。
 
「タイツ脱がなくていいの?」
 
射精にともなう強烈なむなしさは不思議と感じなかった。
ああ、このままタイツ女性として死んでしまえればよいのに。
そのとき、私は確かにそう思った。
 

2004年03月23日

[タイツデイズ]
スキー場の宿でぼくは彼女のタイツ股に鼻をあてた


 
■若者は蓄えられたエネルギーを意識して放電しないと
自家中毒を起こして死んでしまう。
そううわけで、昔は(今も?)新宿駅の西口から雪山へ向かう
スキーバスが乱発され、若者は長野や新潟でムダに体力を使い果たしていた。
 
スキーは、いい。
あの当時、私は厚手のスクールストッキング(30デニール)を
2枚重ねてスキータイツとしていた。
他の友人たちはフットレスのフツーのスキータイツをはいていたが、
私のフーターのなめらかな「スクールスキータイツ」を
とがめるものは誰もいなかった。
 
二日目の夜にゲレンデで仲良くなった女子大生の部屋で酒を飲んだ。
私が隣に座ったのは、頬がふっくらして、髪が長く、
モコモコした白いセーターに赤いスカート、黒いタイツをはいた女の子だった。
 
夜が更けて、部屋には彼女と私の二人だけになった。
小さなコタツの中で手を握り、彼女の脚をなでた。
電気を消しコタツから体を出した彼女を抱きしめ、
座ったままひざを立てさせ、スカートをまくり上げてタイツ下半身を露出させた。
 
彼女の荒くなった息づかいが闇の中でも聞こえた。
私は彼女の前に伏し、彼女のひざを強引に広げようとしたがかなわず、
仕方なくそのままタイツのセンターシームの上からあの部分に鼻をつけた。
 
「いやだあ…」
 
目を上げると、窓からの雪明かりで赤くなった彼女の顔がよく見えた。
目を閉じてそのままくんと鼻から息を吸うと、
かすかな花の香りと、アンモニアの香りがした。
 

2004年03月16日

[タイツデイズ]
辞書で「タイツ」の三文字を。


 
■辞書で「タイツ」を引きすぎて、そのページに開きぐせがついてあせった人、
素直に手を上げなさい。
 
「タイツ——肉襦袢。体にぴったりしたシャツやズボン」
手元にないのでわからないが、多くの辞書ではそんなような記述をしていたような記憶がある。
ぴったりした、という言葉にはときめいたが、どうも期待していた記述とは違う。
この違和感は何なのだろうとずっと思い続けていた。
すると意外な事実がわかってきた。
 
古いアメリカ映画を見ると美しいハリウッド女優が上はニット、下は黒いタイツだけという
ものすごい姿でダンスを踊っていたりして、愕然とすることがある。
戦後昭和30年代にこのファッションは日本にも輸入されたが普及しなかった。
つまりタイツはインナーではなく、アウターウエアだった。
 
スカートの下につけるのはストッキング。
タイツはズボンと同じようにそのままはいて外を歩けるウエア。
この図式が崩れたのは、それまでの綿やウールのタイツに替わって、
透けるナイロンタイツが登場したころだと思われる。
 
ナイロンタイツをはくと下着が透けて見えてしまう。
仕方なくスカートやパンツをその上にはく。
この変化によってタイツは「ぴったりしたズボン」ではなくなってしまった。
ここからタイツの下着ともアウターとも靴下ともつかないあいまいな処遇が始まる。
 
でも透けなければ。
もしタイツが透けなければ、タイツをはいた下半身をみんなに見せても平気なはずだ。
外出から戻り、コートをハンガーにかけ、スカートを脱ぎ、
ニットにタイツ姿でくつろぐ素敵なおねえさまは、いずこに。
 

2004年03月13日

[タイツデイズ]
タイツ・アンダー・ザ・パンツ。


 
■カフェで本を読みふける30代前半と思しき女性が脚を組み、
パンツ(ズボンの方)のすそから薄いタイツに包まれた足首を私のほうに突き出している。
 
いついかなるときでもパンティストッキングをはいていたかつての日本の娘さんの習慣は、
それはそれで美徳だった。
例えば1980年代、ホノルル空港のイミグレーションにて。
ディズニーランドのアトラクション待ちのような幾重にも折り返した行列で、
私が吸い寄せられているのは、行列が進むたびにすれ違うパンスト脚のグループ。
 
ショートパンツ、キュロット、ジーンズの3人はみんなサンダルの下に
パンティストッキングに包まれた足をのぞかせ、私を無用の想像に誘うのだ。
カラカウア大通りをパンストをはいたまま歩く3人。
彼女たちの下半身を覆うナイロン繊維の下で、熱く蒸れたパンティ。
「Sight seeing ?」
入国管理官の声にふとわれに返ると、彼女たちの姿はすでに雑踏に消えていた。
 
そして今現在、目の前のタイツに包まれたパンプス足。
彼女はタイツを、自分の第二の皮膚のように、当然あるもののようにはきこなしている。
昭和40年代後半生まれの彼女には、それは自然な習慣だ。
 
パンツの中にはいたタイツは、暖かい。
歩くたびにパンツとタイツが摩擦を起こし、微妙に運動するタイツが
脚の肌にえもいわれぬ感覚を呼び起こす。
それに慣れてしまっている彼女が憎くもあり、いとおしくもあった。
 

2004年02月29日

[タイツデイズ]
エルメスのララァ —— よみがえる1980年。


 
■ガンダムネタは皆さん、食いつきがいいですね。
みんなの人生も宇宙暦で年代が刻まれてるとしか思えない(w
皆さんのリクエストに答えてうらはるこんさんが再び描いてくださいました、白タイツのララァ。
 
ファーストガンダムの放送が半ばを超えた1980年の一月。
私は国公立大学入学共通一次試験(今のセンター試験の前身の前進)を受けていた。
そのせいかあんまり周りのことを覚えていないのだが、
私にとってこの時期を境に、好きなものが「新しいもの」と「古いもの」が分かれる。
つまりバンドで言えば「チープトリック」は古くて、「ヴァン・ヘイレン」は新しい方に分類される。
 
そういう分類法で行くと、「ガンダム」「探偵物語」「3年B組金八先生」はぎりぎり古い。
同時にパンティストッキングの世界では1978年に登場した
アツギのフルサポーティが一足500円という、とんでもない値段で発売され、
1980年にはマルチパンストを一掃する勢いでそのシェアを伸ばしつつあった。
 
その一方でタイツは不遇の時代だった。売ってないのである。
猫も杓子もみんな薄黒パンスト。
厚いぴっちりしたタイツが欲しかった私は、仕方なく、40デニールの厚地パンストを
2枚重ねてはいて試験を受けにいった覚えがある。
 
どうも浪人しそうだな、と思ったころにガンダムは終盤を迎え、ララァが登場する。
 
このイラストのララァの遠い瞳は、やはり愛するシャアを思っているのだろうか。
自室でジオンの軍服を脱ぐこともせず、白いタイツひざを抱えてもの思いにふけるララァ。
ヴァン・ヘイレンが新しいとか言っている私は明らかに旧タイプなのだが、
タイツを愛することにニュータイプも旧タイプも関係ない。(何言ってんだ? おれ。)
 
ともかくあまりに面白いテレビ番組群ととYMOの「ソリッドステート・サバイバー」と
タイツの重ねばきとレオタードオナニーにのめりこんだ私は、
毎日遊びほうけ、ろくに試験も受けず、浪人する運命を選んだのだった。
 

2004年02月24日

[タイツデイズ]
1979年、おれはセイラさんの白タイツに悶々した


 
■1979年秋、俺は高校3年生だった。
ある日の夕方、友達の家での放課後麻雀(おいおい)に疲れ、
BGMのYMOのLPを止めてテレビをつけると、ふにょんとしたコーラスの主題歌が流れ始めた。
 
 ♪ もえあがーれー もえあがーれー ♪
 
「何だよ、またロボットアニメかよ」と友人の一人が毒づいてパイをかき回し始める。
「この時間だからな。子供向けの番組なんだろうよ」
 
ガンダム、大地に立つ
 
10分後、二抜けを含めた5人全員が画面に釘付けになっていた。
ファーストガンダムが世に放たれた、歴史的瞬間だった。
 
私の世代のロボットアニメ歴は、そのまま日本のロボットアニメ前半史だ。
鉄腕アトム、鉄人28号は幼児のころ。
衝撃的だったマジンガーZは小学校高学年。
勇者ライディーンあたりからちょっと飽きはじめ、
そして久々に毎週見る羽目になった機動戦士ガンダム。
 
で。
私が悩んだのは、あのセイラさんの白い足はタイツか、細いズボンかということだった。
脳内でシャアになった私が妹に聞く。
「これはタイツなんだろう? アルテイシア」
「そんな・・・ キャスバル兄さん!」
 
あれから四半世紀。私の妄想は正しかったことが、このイラストで証明された。
(イラスト/うらはるこん様)
 

2004年02月10日

[タイツデイズ]
1998年の黒タイツの森と初めてのデジカメ。

043877.JPG
 
タイツの着用が自由化されてしまった今では、もう見られない光景。
生まれて初めてデジタルカメラというものを手にした私は、
次の日、ものすごく早起きをして、隣の町の女子高に通う生徒の登校風景を撮りに行くことにした。
 
季節は4月。すでにタイツが必要な季節ではなかったが、生徒たちはきっちり黒タイツをはき、
その分スカートを飛び切り短くして、放熱効果を高めているようだった。
 
どうやって撮ったものか、プランも何もなかったが、何しろデジカメはすぐに撮った絵が見られる。
とにかく行き当たりばったりで学校へ向かう生徒たちの風景を撮りはじめた。
 
ところがである。始業を前にした生徒たちの足は異常に早いのである。
等速で追尾しようとすると、生徒ではない私の姿は妙に浮いてしまい、
体力が追いつかないこともあって、私は遠距離からの撮影をするしかなかった。
 
それがこの写真だ。初期の「スクールタイツ委員会」のボトムバナーになっていたから、
見覚えのある人も多いだろう。全員、見事に黒タイツ一色。
 
私が余りにこの光景のすばらしさを宣伝したものだたら、
一年後の1999年の4月の土曜日の午後に「黒タイツ花見」の会が催された。
スクランブル交差点の対角に彼女たちを待ち受け、歩行者用の信号が青になったそのとき、
数十人の黒タイツ女子高生に波に飲み込まれるように横断歩道を渡る、ただそれだけの趣。

参加者はカメラのシャッターを押すのも忘れ、ひたすらその軌跡の空気を呼吸していたのだった。
 

 

2004年02月02日

[タイツデイズ]
1963年のタイツフェチ。


 
■この写真は1963年、昭和38年に発行されたSM専門誌「裏窓」に掲載されたものである。
昭和38年といえば高度経済成長が始まり.アツギがテレビでCMを派手に流し、
私が2歳になった年だ。
 
この時代にももちろん変態でフェティッシュな人々はいた。
いわゆるSMのボンデージの衣装は1930年代にアメリカで完成され、
サジズム・マゾヒズムという用語は、戦後間もないころに発行された
日本のカストリ雑誌にも、頻繁に見受けらる用になっていた。
 
需要があれば雑誌は出しつづけられる。
「裏窓」は日本のSM雑誌の草分けとなった「奇譚クラブ」と張り合いながらも
しっかりとした地位を築いていた。
 
写真の話に戻る。
このグラビアのタイトルは「黒いタイツ」。
下着と黒タイツだけを身につけた女性がロープで縛られている。
この場合、黒タイツは「いやらしい衣装」として、モデルにはかされているのだ。
 
「黒いタイツっていやらしいですな.女にタイツをはかせて縛りましょう」
編集会議でそう発案した偉大なる先駆者に、
私は同じ血脈を持つ者として、父以上の親しみを覚える。
 

2004年01月17日

[タイツデイズ]
タイツにブルマー。

 
■わたしが小学生時代を送った昭和40年代、タイツはそこらじゅうにあふれていた。
私が通っていた私立の女子高付属の小学校だけでなく、
公立の小学校の女子もスカートの下に黒タイツはもちろん、
茶色タイツ・肌色タイツ・グレータイツにバルキータイツをもはき、
時には低学年の男子生徒も半ズボンに黒タイツをはいて学校へ通っていた。
 
もちろん、体育に時間で着替えるからと言って、タイツは脱がない。
タイツ女子たちは、タイツの上にそのままブルマーをはいて、
運動場に出て行き、飛んだり走ったりしていた。
 
タイツはこの時代、衣類ではなく、「仮想皮膚」として認識されていたと思う。
つまりタイツをはいたとき、タイツに覆われた状態も正常な脚、だったのだ。
わかりやすく言えばタイツは脚の一部として認知されていたと言うことだ。
だからブルマーにはきかえるときもタイツを脱がない。
普段の生活でもタイツをはき続ける。
 
その世代は現在の30代後半〜40代となっているが、
その世代の女性はどんな服と着るときでもパンストをはくことが多い。
彼女タイツは皮膚を覆うナイロンと一体化している。
 
そしてその無意識な習慣に、傷つけられた男の子も確実にいる。
潜伏中の「タイトロン」の首領・ライックラー将軍は、小学生のとき、
同級生の女の子がグレーのパンティーストッキングにブルマーをはいて
体育の授業を受けている姿を間近に見てしまった。
その姿が彼の一生をそれまでとは別のものにしてしまったことを
彼女は知っているのだろうか。
 

2003年12月23日

[タイツデイズ]
プレーンなタイツにしてくれ

 
■今では信じられないことだが、1982年当時、真っ黒で厚くて滑らかな、
タイツと銘打たれたタイツはほとんど手に入らなかった。
唯一の例外がアツギのフルサポーティ・ミンクラインかスエードラインで、
これはアツギによると、フルサポーティの厚いものでタイツではない、というものだった。
 
で、どんなタイツが売られていたがというと、編みこみ模様のバルキータイツや
半ばセーターのような毛混紡のリブタイツ、でなければ40デニールの「厚いパンスト」が
マーケットの主流で、今のような60デニールとか80デニールのプレーンなタイツは
本当に手に入らなかった。

当時、まだ律儀に黒パンストを好んではいていた女子高生は
40デニールの「スクールパンスト厚地」をモアレ模様丸出しで重ねばきしたり、
ちょっと気の利いた子は当時、エアロビブームで有名になりかけてた
渋谷のチャコットまで行って、わざわざバレエ用の黒タイツ(ごわごわしてた)を
手に入れてはいていた。
 
少年時代、前開きのある黒のボーイズタイツに親しみ、
バレエ教室でこっそり女の子の忘れ物のピンクタイツをはいて
プレーンなタイツの滑らかさ、やわらかいナイロンと皮膚との一体感、
下半身だけが別の生き物にみてる異生物感に陶酔していた私にとっては、
地肌がすける薄く儚いパンティーストッキングは頼りなく、
もこもこと毛羽立ったバルキータイツではなまめかしさに欠けた。
私は肌にぴったりと吸い付くようなタイトな第二の皮膚がほしかったのだ。
 
そんな願いは1984年ごろに突然かなう。
突如としてファッション界に空前の黒タイツブームが起こったのだ。
黒いひざのたるんだパンストには食傷気味だった私の目も、
黒セーターに赤いミニタイト、そして透けない真っ黒な、
わずかに光沢のあるタイツをはいた女の子の脚に釘付けになった。
 
技術的なことを言うのなら、このときのタイツブームは
今までのナイロン100%の少しごわつくタイツに、
ポリウレタンを含ませんることによって、今までにない伸びと
光沢とフィット感をもたらしたことではじまった。
女性も滑らかなタイツに魅了されたのだ。
 
私の幸福と狂気はこのときに始まったのだ。
 

2003年11月15日

[タイツデイズ]
戦後エログロブームとタイツ

■フツーの人には「タイツがエッチ? 変じゃないの?」とか言われてしまうタイツですが、
戦後のある時期、『タイツはいやらしいもの』として認識されてた時代があったようです。

その代表格が横溝正史の「三つ首塔」に登場するタイツの扱われ方なのですが、
主人公の女性は秘密クラブのパーティに参加するのに全裸に首から下をすっぽり覆った
タイツを着用させられ、他の客のいやらしい視線を投げつけられるのです。

黒いタイツはいやらしい。
そのプリンスのテーマとも言うべき認識が、確かに過去存在していたという
証拠の文献を見つけました。

昭和38年発行のSM誌「裏窓」には「黒いタイツ」というタイツの緊縛写真と「黒猫と椅子」
という顔出しゼンタイの緊縛写真が掲載されていました。
この時代確かにタイツは恥ずかしく、いやらしい衣類だったのです。


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